ishiiharuki

Reseach of Triangle Lawn


ウガンダ ワークショップ
2024年 8月 13日 - 8月 21日

2024年の東京藝大樫村研究室の学生として、ウガンダでのワークショップに参加した。
ワークショップが行われた地域は、緑地から農地へ、宅地から商業地へと急速に変貌を遂げた後、 偶発的に残された緑地(私 有地)である。井戸から水を汲む人、洗濯をする人、牛を放牧する人、草むらで遊ぶ子供たちなど、 住民が日常生活空間として積極的に利用している一方で、ゴミは大量に捨てられ、放置されている。そこに日本の学生5名、 ウガンダの学生 6 名が参加した。敷地の魅力と可能性をすくい上げるため、学生たちはまず、スケッチやインタビューを通して、 敷地が現在どのように使われているかを注意深く観察し、説明することから始めた。それをもとに 3つの構造物を設置。さらに、 住民を巻き込んだ叩き染めや、敷地内の循環、ダンスイベントなどを通して、周辺コミュニティに貢献する文化プログラムの可能性を探った。

私は3つのストラクチャーのうち、1つを設計・施工した。
敷地を上空写真からみると廃棄物を除いて一見どこにでも行けそうに見えるが、 傾斜のついた地形や廃棄物の切実さによって立ち入れる領域や生活動線は限定的である。 そして、みんなが通る場所は土が露出し、みんなのではない場所は廃棄物に覆われている。 もしくはゴミで覆われてなかった領域がみんなの場所になっているとも言えよう。では、土でも廃棄物でもない芝の地表面はどのような場所であるかと思った。

撮影:Timothy

Site
敷地の中央北寄りに、2つのけもの道の間にできた三角形の芝地 がある。 そこは、背後から迫る廃棄物の山が地面の段差によって堰き止められ、囲われた空間を持ち、 そばを行き交う人々の小休憩の場所として機能していた。ある時には誰かのための (けれど みんなのではない) 場所として、 その芝地が残っているのだとすれば、通り過ぎる人々の小休憩が重なり様子が見えることで、 「誰かの芝地」は「みんなの場所」として意識され始めるのではないかと考えた。

撮影:Timothy

Space
高さの異なる水平材を長く連なるようにしつらえる。 杭を挟んで 固定された2本の水平材は、地形の高低差によって座面の高さを少しづつ変えながら、異なる質をもつ居場所を作り出す。 向かいの芝地にはバク宙を練習する子供たちなどが見られ、道に沿う水平材に座り手前の芝地と正対することで、2つ芝地の間に見る見られる関係が作られる。 また、ダンスイベントの後には芝地の内側を向いて水平材に座り会話をする人々の様子も見られた。

撮影:Timothy

撮影:Timothy

Scale
敷地内に1つのベンチが置かれることで、井戸より向こう側でバイクを手入れする青年や、 敷地の外で洗濯物を洗っていた主婦らが敷地の真ん中の芝地にやってくる光景が見られた。 それぞれの人の領域がより大きな広がりを持って重なり、みんなの場所が形作られる。